80歳 現役編集者の “徒然なる我儘に”

じゃこめてい出版の最年長編集者が手掛けた書籍の紹介と思い出の日々を綴る。人生の編集日記。

ついに決行! シモキタ散歩1 「スイドードーロって?」

 夕暮れて父の降り立つ駅舎までひた走りゆくオリオンの道

 

桜も満開となった三月も終わるころ、念願のシモキタ・リハリビ散歩に行ってきました!

「シモキタ」といえば、今は知らない人はいないくらい、あまりにも有名な若者の街になってしまいましたが、私にとって「シモキタ」は、あくまで「下北沢」で、子供の頃よく遊んだ思い出の街です。

 

 パーキンソンになってから、リハビリの目標の一つとして「下北沢散歩」をコトあるごとに宣言していたのですが、体調を理由に一向に腰をあげない私に業を煮やし、子供たちがこの日に決行するから」と一方的に宣言、重い腰を上げざるをえないこととなってしまいました。

 

ということでいつ転んでも大丈夫なように、みんなにしっかりガードされながら下北沢散歩を決行、孫も入れて参加メンバーは総勢六人でした。

 

スタート地点は子供の頃住んでいた井の頭通りに面した家のあたりで、ゴールは下北沢駅

健康な成人なら徒歩15分くらいで着けるはずなのですが・・・。

 正直、いまのわたしにとっては、なかなかの難行苦行の道のりでした。

 

この「井の頭通り」ですが、わたしの子供の頃は「スイドードーロ」(水道道路)と呼んでいたので、常々不思議に思っていました。

で、ネット検索したところ、今もその名の通り水道が地下を通っているのだそうです。

多摩湖の水を東京に運ぶために地下に作った水道の上を道路として利用し、都心まで走らせたのが「水道道路」つまり「スイドードーロ」でした。

その道路の途中にある武蔵野市関川と渋谷駅付近を結ぶ道路を「井の頭通り」と名づけたんだそうです。

当時荻窪に住んでいた元首相の近衛文麿が、車で国会に出かける道の名前が「水道道路」ではあまりにもドロくさい!といったかどうかは知りませんが、自ら大正13年「井の頭街道」と名づけたのだそうです。

さらに戦後第一回東京オリンピック(1964年)の年正式名称「井の頭通り」となったとのこと。

そんなこんなで、「スイドードーロ」は「井の頭通り」と呼ばれるようになったといいます。(ややこしいので詳しくはネットでご確認ください) 

その水道は地下にあったので見えず、見えないまま「スイドードーロ」

という名の道路が、子供の頭の中にずーっとひかれ続けていたのですね。

 

その井の頭通りに面した住宅街にある駐車場に車をとめて、一路下北沢に向うことになるのですが、その前に、家のあった場所に行ってみました。

残念ながらあたりはほぼ集合住宅になっていて、思い出をたどれるものはなにも残っていない!

そればかりか小学校はなんと廃校になっていました!

中学校はさすがに残っていましたが、もちろん春休みで門は固く閉ざされたまま。中は覗くこともできません。

 

ただ昔「山本家具店」という名の古道具を扱っていたお店が残っているということを聞いていたので、これもネットで調べてみたところ、昭和20年創業、三代にわたってアンティークものを扱っているというお店があることを知りました。

多分あの古道具屋さんに関係のあるお店に違いない。そう思いました。

 そこでいろいろ聞くことができるかもと胸がおどりました。

ネットで見る限りお店も当時の何倍も大きくなっていて、ぜひ行って見ようということになっていたのですが、なんとその日は定休日!だったのです!! 

そして閉じられたお店を横目に、下北沢に向かうことに。

 

 (シモキタ散歩 2 に続く)