80歳 現役編集者の “徒然なる我儘に”

じゃこめてい出版の最年長編集者が手掛けた書籍の紹介と思い出の日々を綴る。人生の編集日記。

秋晴れの空の下

霊峰は真白き冠を戴て高圧鉄塔により沿ひ浮ぶ

 

目のさめるような秋晴れの空の下、雪をかぶった富士山がくっきりと見えた日があり、読んだ歌です。

「富士山が見えるよ」とおもわずいるはずのない夫によびかけて、

「そうか、もういないんだ」とつぶやく。そんな日々が続いています。

 

 

「こんなに劇的に回復する患者をみるのは2年ぶりだ」

と先日の診察の際、先生からいわれました。

先生が診ておられるパーキンソンの患者さんの中に90歳を越える方いらして、一人で旅行に出かけられるほど今もお元気とのこと。 

人生100年時代、元気で暮らせることを目指し頑張らなきゃ」

 初めて診てもらった時の先生のことばを思い出し、そして今回の診断、うれしさがこみ上げ、ちいさくガッツポーズをしているワタシです。

 

初診の際のわたしの「もうダメだ感」はいまでは語り草になっていますが、実はその時のダメさ加減をあまりよく覚えていません。

「うっそー、ホントに覚えていないの?入院の心配までしたのに?」」と付き添いの子供たちも口を揃えていいます。

先生もまた、「あのときは酷かったね」とさりげなくひとこと。

そして冒頭の劇的によくなったという言葉に繋がるのですが。

本人は劇的によくなっているということが、なかなか実感ができないというやっかいな病気でもあります。

 

また、いまさらながらですが、念押しのように

パーキンソン病であると認定しました」とも言われました。

病気の決め手となる検査が、わたしにアルコールアレルギーがあるためできなかったので、経過を見ながら病名を決めると言われていたのです。

其の時の、残念を通り越してお怒りの表情になっておられた先生の顔が、忘れられません。

そして、今回経過観察の結果、パーキンソン病に間違いがないと断定されたようです。

 

それにしてもこの疾患は運動能力がそう簡単には元通りにはならない。

少し長く椅子に座って立ち上がり歩こうとするときのふらつき感はなくならならず、

散歩も地面が家の廊下と違って様々変化するので、外出は今だに心許ない。 

リハビリしたあとの疲労感も結構あったり、回復経過を自分なりに振り返ってみると

この病気、とても一筋縄ではいかないなというのが、正直な感想です。

 

このブログを再開して半年ぐらいになりますが、少しずつよくなるにつれてパソコンに向かうことが増え、前屈みの姿勢のまま小一時間経っていることも多くなりました。

其の結果、骨盤に負担がかかりふらつきの原因にもなっているのでは?と、バソコンの画面やキーボードの位置や高さが問題といわれました。

今のままでは、ますます背が曲がってしまいマズイとのこと。

わたしはノートパソコンを使っているので、画面とキーボードが一体化していて高さ調節がむずかしく厄介です。

菓子箱を見繕って高くしているのですが心許ない。

わたしは使っていませんが「スマホも姿勢が問題」と言われました。

読書も寝ながら読むなどもってのほかで、 

医師曰く「読書は背筋を伸ばし、書架を使って読むベシ。喉の筋肉を鍛えるには、詩吟を習うべシ」だそうです。

なるほど、背筋がシャンとして時代劇みたいでおもしろいかも。

 

今は15分から30分おきにパソコンを中断し、立ち上がって足踏みしたり、歩いたり、体操したり、セワシナイことです。

日常生活の「難行苦行」はまだまだ続きます。

 

下北沢散歩もいつできるやらーー。でもあきらめないでリハビリがんばります。