80歳 現役編集者の “徒然なる我儘に”

じゃこめてい出版の最年長編集者が手掛けた書籍の紹介と思い出の日々を綴る。人生の編集日記。

ついに決行!シモキタ散歩2 「そして、ドンリュウさんも」

「シモキタ散歩」はスタート地点から、ちょっとがっかりが続いてしまいました。

でも気をとりなおし、手作りの地図を片手に(持っていたのは私ではありませんが)足元もおぼつかぬまま、 おそるおそる井の頭通りを渡って,下北沢に続く狭い道に入り、一路目的地を目指しました。

 

この道はアップダウンが結構ある道で、のっけから工事のため急ごしらえの石段があり、しかも下り!おおいにあせりましたがなんとかクリア。

子供のころは坂道も楽しくてとぶように歩いたものですが。

 

下北沢は近所の子供たちや学校の友だちとでよく遊びに行ったところなので、いろんな思い出がぎっしりと詰まっていて、記憶を辿るだけで胸に熱いものがこみあげてきます。

 

特に下北沢の駅舎は、仕事帰りの父を兄とふたりで夕方よく迎えにいった、思い出深い駅です。

暮れなずむ空からガタンゴトンと舞い降りてくるような電車の明るい窓に、小学生だった兄と二人身を乗り出して父の姿を探しました。

路地を走り抜けていくとき、行く手にオリオン座の三星が木の間に見え隠れし、見つけると父と直ぐ会えるような気がしてうれしかった。

母のいない家でした。父と兄とわたしの三人肩を寄せ合うように暮らしていたあのころ。思い出すと今もせつなくなります。

 

その駅も今は小田急線の線路が地下に潜つたりと、私にとっては思い出のよすがとなるものがなくなり、遠くから知らない駅と街をながめ見ている感じになっていくのが残念ですが。

 

テレビがまだ一般家庭に普及していなかった時代、場所中はテレビ観戦をするために、相撲好きの父がテレビのあるお寿司屋さんによく連れて行ってくれました。

そのお寿司屋さんも見当たらず、同級生の家がやっていた理髪店や靴屋さん、お肉屋さんなどまだあればと期待しながら歩いたのですが、あるのは若者向けの古着屋さんや飲食店ばかり。

残念ながら見覚えのあるお店はひとつもありませんでした。

それどころかお寺も無くなっていてびっくり。

 

昔、中学の同期生が住んでいた家の前にあったお寺で、私たちは「ドンリュウさん」と呼んでいたのですが、それは間違いで、本当は曹洞宗の真龍寺という名のお寺だということを最近知りました。

その寺にまつられていた「道了尊」を「ドンリュウさん」と聞き間違えていたみたいなのです。

私だけがそう呼んでいたのか、それもどうか今となっては確かめようもないのですが。

しかも勝手に「呑竜さん」という漢字まで当てて覚えていたのはどういうことなのでしょう。なんと不謹慎な。スミマセン。

今では廃寺となっていて、跡地には寺とゆかりがあるのかないのか、無表情なビルがのっそり建っていました。

 

シモキタといえば今では本多劇場ですが、当時は映画館が、グリーン座、ヲデオン座、そして名前を忘れたもう一館、と三館もあって、学校からもよく観に行ったものです。それも全て無くなっていました。

 

ただ見知らぬお店が連なった街になっていても不思議に他人行儀のよそよそしさはなく、若者に混じって足元もおぼつかなく歩く年老いたわたしにも、終始あたたかな安心感をあたえてくれる街でした。

何故か「古着」のような温かさにほっとさせられる街であることには、変わりありませんでした。

(ついに決行!シモキタ散歩 3 に続く)