昭和17年生まれの現役編集者が綴る人生の編集日記 “徒然なる我儘に”

じゃこめてい出版の最年長編集者が手掛けた書籍の紹介と思い出の日々を綴る。人生の編集日記。

大好きな紫陽花のやさしいはげまし

今年も、あっというまに半年経ち、梅雨真っただ中、

そして六月ももう終わろうとしています。

私はこのところ体調不良で,家に引きこもりがちの生活を送っていて、

雨模様の空を窓外に眺めぼーっと暮す日々。     

季節の移ろいも漫然と窓外に眺めているばかりでしたが、 

娘が小さなかわいい植木鉢に二輪咲いた紫陽花をもってきてくれました。

 

散歩していてもそこの角を曲がると、雨に濡れやさしく微笑む紫陽花に出会える、そんな楽しみが待っているこの季節。

自分は花の中で紫陽花が一番好きかもと最近気がつきました。

手持ちの花図鑑の本でも「日本人が好きな花」ということばから紹介が始まっています。

私はどんな花でも嫌いということはないといえばないのですが、

ただ紫陽花だけは妙に心に寄り添ってくれる何かを感じてしまう特別な花なのです。

なぜなのでしょう。じっと見ていたいほど惹かれるものがあります。

透き通った水をたっぷり含んだような感じがなんともこころよくて、

雨上がりの道で紫陽花の花をみつけると心が静かにかき乱される。

形容し難いうれしさが身のうちに広がる。

さくらやバラなどには感じたことのないみずみずしいざわめきが聴こえる。

薄藍色の雨の涙を潜って咲いたような花びらたちの集い。

 

梅雨闇に入りて人待つ七変化しとど濡れ咲く涙の花は

 

七変化は紫陽花の別名だそうです。

 

 

家の近くに「あじさい寺」と呼ばれるお寺あり、この季節になり今が見どころと噂を耳にすると、いつも「いってみたい」と思うのですが、一度も行ったことはありません。

桜やバラはいろいろ見に出かけているのに。桜などは奈良の吉野まで見に行ったのに。

これは紫陽花ファンとしてあまりに失礼では。

ということで、今年は思い切ってみんなで行こうということになりました。

そして、十代から八十代の女性総勢五人で出かけたのですが‥‥‥。

 

お寺は紫陽花を見に来た人々が引きも切らず訪れ大賑わいでした。

広い境内には色とりどりの紫陽花が所狭しと咲いていて、評判に違わずなんとも素晴らしいながめ!

私も小さく歓声をあげながらお寺の石畳を歩いているときでした。

ふと体のバランスが崩れ足がふらつきそのまま転倒!

またまた頭を打ってしまったのです。

「またまた」というのはその二三日前に家で転倒し頭を打っていて、CTスキャンを撮りパーキンソン病の治療でお世話になっている医師に診てもらったばかりだったからです。

 

「またですかー」あきれ顔の先生。私も今回ばかりは恥ずかしさでいっぱいになりました。

一緒に紫陽花を見に行ってくれた息子の連れ合いとその母上、そして中二の孫、あじさいを見る会を発案してくれた娘もそのクリニックまで付き添ってくれ、みんなのそんな優しさを再認識させられました。申し訳なさと感謝の念でいっぱいです。

 

検査の結果、脳に異常はみつからなかったとのこと、ホットしましたが。 

「その色愛でつ」転んでしまった自分があまりになさけなくてことばになりません。

でもあの紫陽花たちの姿は今も脳裏にあざやかに残っていて私を励ましてくれます。

10日以上たった今も。

ありがとう、やさしいアジサイさんたち。

また会いに行きますね。

最後にみんなが撮ってくれた花の写真をご覧いただければうれしいです。 

ということでこの話のつづきはまた。良い報告ができることを祈りつつ。

 

川崎市多摩区にある、あじさい寺・妙楽寺

 

 

出雲弁で楽しさ大化け我が家の「ばけばけ」!? 

今期のNHK朝ドラ「ばけばけ」の舞台は島根県の松江なので、ドラマの会話は出雲弁ですね。

出雲出身の主人が生きていたらきっと、毎朝「そげそげ」(そうそう)とか「じゃじゃばっか」(馬鹿なことばかりいって)とか言いながら、観ていたに違いありません。生粋の出雲人であった姑も一緒に。

私も毎朝テレビに釘付け状態です―。

 もう亡くなりましたが東京生活が何十年という姑は、きっとドラマを観ては出雲に住む親戚と電話で「あーちゃいやだわ、どけしたことかねえー出雲弁が出でこん、忘れちゃったわね」とまぎれもない立派な出雲弁で話もつきなかったことでしょう。

「ちゃった」は東京弁ですが。 

 

一緒に暮らしていた姑の出雲弁は孫である子供たちの耳底にしっかりと残っていて、姑の話になると、必ず出雲弁が混じり「そげそげ」となります。

「ばけばけ」は、耳にこびりついている出雲弁がテレビで全国区版となり聞けるということで、始まる前からみんなで楽しみにしていました。

今は「今日の出雲弁どげだったかね」が、朝の挨拶代わりになっています。

 

主人公の家が武士として立ち行かなくなってしまったため身すぎ世すぎとして牛乳を売っているという設定になっていますが、それで思い出すのは、

“ゴーゴッ”と飲む我が家の牛乳のこと。

子供たちは二人とも少食で牛乳はいつも飲み残していました。

姑は遊びにきた親戚の子供たちの豪快な牛乳の飲みっぷりを見るにつけくやしがって、孫たちに「おまえっちゃ、もっとゴーゴと飲んだわねえ」とこわーい顔で怒られた思い出がよみがえってくるそうです。 

 

主人は高校時代に上京し、東京の高校に通っていたのですが、あるときクラスメートの持っていたものを手にとってもっとよく見たくなって出雲弁で「それなやませて」と言うと、「なにそれ、勝手にナヤメば」と言われたそうです。“なやむ”は「悩む」ではなく、出雲弁で「さわる」という意味のことばでもあるとのこと。これは分からなくても「しかたないわね」ですが。

 

一人っ子の彼は小さい頃から話をすることが大好きで、学校から帰るとまず両親を前に、大笑いしながら「ぼく可笑して」と始めたそうです。

彼と知り合った最初のころ、人マネ声マネを駆使し、本人も大笑いしながら涙を流しおかしがって話す姿にびっくりしました。 

同じ話をしてもほぼ一字一句変わることがない。そしてそれを聞く私たちも何度聞かされたか分からないのに、その語り口がやっぱりおかしく、大笑いしながら聞いているのでした。 

それは「ばけばけ」で紹介さるような怪談話ではなく、学校での出来事や身近な人たちの生活を出雲弁で語り、大笑いで終わる話ばかりですが、何度聞いても可笑しい。ここで再現できたらいいのですが、私にはその才覚がありません。残念です。

とりあえず面白い話をたくさんしてくれた彼に「だんだん」です。

この「だんだん」は「ばけばけ」ではまだ登場していないかも。

今朝はどんなことばに出会えるか、楽しみです。 

最新刊「いつもきみのそばに」音読してみました

今は日がな1日ひとことも発しないような日も多くなり、記憶もおぼつかなくなるばかり。

 

これはまずいな、と思っていたところ、本や新聞などを「音読」すると脳の老化を防げるということを知り、本を探し購入しました。

(「脳が老けない新聞の読み方」アスコム刊)

 

この本によると音読は黙読するより、脳が活性化し記憶力、語彙力、読解力、思考力、集中力などがアップするのだそうです。

 

音読といえば、子供がおさないころは絵本や童話を読んで聞かせたという思い出は誰しもありますよね。

でもそれ以外声を出して本を読むということは日常生活ではあまりない。

 

私の場合さらに思い起こせば、子供のころ、寝床にはいってから眠りにつくまで父によくせがんで本を読んでもらっていました。

 

父がドイツ語の翻訳の仕事をしていたので家の本棚には絵本ではなく文字ばかりの子供向けの世界名作シリーズが並んでいました。その中から面白そうなタイトルをみつけて読んでもらっていたのです。

 

人はいきなり文字は読めないので、読書というものは、初めはだれかに音読してもらって、物語の世界であそぶことを覚えていったのでしょう。

 

辻やのか著「いつもきみのそばに」は声を出して読んでもらえたらよかった、と思わせるやさしいことばに満ちたすてきな「音読本」です。

生きていれば父に読んでとせがんだかもしれませんと。

 

 

「音読本」というのは私が勝手につけた名前ですが、この本は、一字一句一行一行がとても読みやすく工夫されていて読み始めるとふっと声を出して読み上げたくなるのです。

 

 

 

 

 

 

主人公風くんは、風神さまの99番目の子どもで、98人のお兄さんたちがいて、父風神からのミッションに挑戦し、しだいに成長してゆく姿を描いています。

 

読んでいくうちに風の子が大空を吹き渡っている様子がまざまざと浮かび、そして文字をたどっていくうちに自然に声を出して読みたくなるのです。

 

今日も楽しそうに大空を吹き渡っている彼にこの声届くといいなと思いながら「音読」してみます。 

 

「いつもきみのそばに」辻やのか 著

 

 

 

 

「音読」といえばもうひとつのおすすめ本は平成20年弊社刊のこの本です。

 

「99歳ちりつもばあちゃんの幸せになるふりかけ」

もくじ

第1章 響きあうこころ ちょっと気くばり ぽっとしあわせ

    話すときあたまに、○○さん、って名前つけて呼んどぉみ。

    自分のええとこなんて、そんなん自分ではわからへんねん。

    ほか

 第2章 自分を育てる 幸せになるふりかけ

    大人になっても、うれしいみつけるんやで。

     こころ折れたら、体動かし。からだ折れたら、寝るんやで。

     ほか

第3章 時間の使い方 ちりつもばあちゃんんは段取り名人

    なんでも段取り八分やで。早め早めに段取りしたら、ほんまにだいじなことに、気ぃようとりかかれるね。

    ぜ~んぶついで。生きてるついでや。

    ほか

第4章、第6章 まで

 

 99歳になるちりつもばあちゃんの、元気になることばを集めた

読むだけで“幸せになるふりかけ”のような本です。

 

“ちりつも”さんも孫である著者も京都の方なので、自然に流れる京ことばの語りが、読者の心にこころよく染入り

「声を上げて全ページ読みました!」

という嬉しいお便りをいただいたこともあります。

 

「自分のええとこなんて そんなん自分ではわかれへんねん」

 

「心折れたら、からだ動かし。からだ折れたら、寝るんやで。」

 

「“よーし”言うたら、なんや,やらなあかん気いになる。」

 

「ぜえーんぶついで。生きてるついでや。」

 

などなど、さりげないことばが並ぶ目次も

読み上げるだけで元気になり、なんとなくわくわくしてきませんか?

 

手にとって読んでみたい方は、ご注文はこちらからどうぞ。

 

振袖とハカマで卒業

 

年が改まったと思えば、もう4月も目前。

ブログの新年のご挨拶とおもっているうち、あれよあれよという間に月日はながれ、桜の開花宣言となってしまいました。

みなさまにはお元気でお過ごしのことと思います。

この冬は結構寒い日が続き、それが体に応え、ブログをお休みさせていただいていまし

たが、なんとか再開、少しずつ更新していこうと思っています。

この春孫の一人が小学校を卒業、4月から晴れて中学生となりますが、その卒業式が終わった直後、写真をスマホに送ってもらってびっくり。

 前もって聞いてはいたのですが、「振袖にハカマ」という出立ちだったのです。

最近の小学校の卒業式では、振袖にハカマ姿という女の子がクラスの半数以上もいるのだそうですね! 

その話を聞いて「なんとごくろうさまなこと」と首を傾げていた私だったのですが、そ

の「振袖とハカマ」姿の孫の写真を見て、「超かわいいー!」と思わず叫んでしま

う“ババ馬鹿”の私になっていました。 

写真をよく見ると振袖とハカマの色や柄や組み合わせが大胆で面白く、親子で楽しく選

んでいる様子が浮かんできました。
 
 ハカマの着付けはどうするのかーー、ママの皆さんはどのようにクリアされたのでし

ょう。お聞きしたいものです。楽しいびっくり私もしたいのでー。


 今週からは、桜の開花情報が列島を縦断して行くことになりますがいよいよ満開の桜

の木の下で中学の入学式。でも中学は残念です制服があるので「ハカマ」的な驚きはな

いのでしょうね。 

 もう3ヶ月も前の写真で「初日の出」もあったものではありませんが、冒頭の写真は

今年の元旦の朝、「初日の出」を家からを撮ったもの。

下の一枚はその一週間後の七日の朝、ベランダ側の西の空にかかつた虹をみつけ、思わ

ずシャッターを押したものです。

 


  
凍て空をやさしく彩り鉄塔に真向かいて立つ虹の橋だて 

 

早朝の空は薄い雲に覆われ薄暗く、いつもなら大きな鉄塔の下、はるか遠く小さな富士

のシルエットが拝めるはずなのですが残念ながらこの日は雲の中。

見えぬ霊峰富士に思いを馳せながら、大きな鉄塔に真向い立つ虹の健気さ、そしてその

優しい色合いがとても印象的で、こんな歌となりました。

送り損ねた新年のご挨拶はこの写真とともにパソコンに残っていたのですがさすがにそ

れはカットし、写真だけ紹介させていただきました。

 今日は天気もよく、やわらかく美しい青空が広がり、桜の開花が映える一日となりこ

んな一文となりましたが、これからもよろしくお願いします。

病気のせいで健やかな朝

パーキンソン目の前にして笑い合う病気のせいで健やかな朝 (息子)

 

返歌

あの頃は怪獣○▲✖️にそっくりだったと笑うら子に背筋を伸ばす

背ごまりを怪獣に見立てて笑い合う子らのはげまし背筋伸ぶ

怪獣の名前はもう忘れたと笑い止まず吾も笑えり 

 

今日は大晦日、今年最後のプログとなってしまいましたが、こんな戯歌を息子からもらったので紹介させていただきました。

短歌など読むような子ではなかったのですが、最近そんなお仲間ができて詠んだものだそうです。

返歌は、その当時ホント怪獣そっくりさんだった私が詠んだものです。

 パーキンソン病を宣告された二年半ほど前、当時の私の様子を思い出して詠んだものだそうで、親バカということでここに紹介させていただきました。

 

また、こんな歌もくれました、

 

老いた母絵画の中に何おもうガラクタ集めに右往左往 (息子) 

 

 習い始めた水彩画の教室にたどたどしい足取りで通う私の姿をこのように思って見ていたんだと、結構真剣に考えてしまったのでこんな歌になりました。

 

返歌

がらくたも絵のモチーフとなる教室によろめき急ぐ八十路闇坂

 

今年は、体調と相談しながらではあるものの、60年の長きにわたり音信不通となっていた友人を家に招いたり、仕事で長くお付き合いのあった方などとの交流も再開、一年を通して結構多くの方とのお会いすることができ、一年がアッという間にすぎた感じです。

3月は下北沢散歩、8月は横浜の赤煉瓦倉庫、この12月にも千葉の鴨川にも足を伸ばしました。

 でも、この一年ブログも休み休みとなってしまいしました。

今年もこんな終わらせかたをするのかとわれながら残念ですが、とりあえず新年はもっと前向きなテーマで始めたいと思っています。

 

2025年は私が最も苦手とする巳の年なので年賀状も見るのがコワイ!?のですが、来年も(と言って明日はもう新年ですが)かわらずどうぞよろしくお願い申しあげます。

良いお年を!

八十代で変わったものテレビ・新聞のつきあい方 変わらぬものは“持つべきもの”

八十をすぎてからテレビのつきあい方が随分変わりました。

 

今までは気になるドラマなど前もってチェックし、見損なってもいいようにビデオに撮ったり、TVERなどネット配信でしっかり見ていましたが、最近はそれも面倒になって、「連続ドラマ」は途中で「不連続ドラマ」となり、いつのまにか見なくなってしまっている。

 

 NHKの朝ドラ「虎と翼」は別格でしたが、今の「おむすび」は見たりみなかったりで筋も追えない状態です。

 

ドラマといえば、これもNHKドラマですが「団地のふたり」は面白い! 

 小泉今日子と小林聡美の演じる都心からなれた団地に生まれ育ったおさななじみの「ふたり」を主人公にした物語です。

 

五十を過ぎて諸事情により団地に戻った二人の日常生活をユーモラスに描いたドラマで、ふたりの掛け合いがなんとも楽しく、いつまでも聞いていたい見ていたい感じになっています。 

 

 周囲の環境と団地のたたずまいが近くの団地とそっくりなのでもしかしたら、と見ていたのですが、残念ながら違いました。そう思った方も多かったのでは?

それは。戦後の復興を達成した昭和の原風景といってもいいのかもしれません。

 

 物語はもう終盤。“だらだら”と続いてほしかったのに残念です。

 

結構見ていた歌番組も最近はほとんどスルー。

出演歌手によっては楽しみにしていたのですが、新しい歌は知らないし、かといって耳になじんだ名曲だったとしても若い歌手が歌うのはどうもいただけない感がある。

そんなこんなでだんだん見なくなってしまいました。

 

サスペンスものも全く見なくなりました。

あんなに好きだった「相棒」もみません。

 

若い頃事件ものドラマをみていると、姑からよくいわれました。

 

「あんたはそげにこわいもん よー見んさるねえ! 」

 

今はそのまま自分に言ってやりたいぐらいです。

 

かといってラブストーリーものは筋を追うのもつかれる。これもスルー。

バラエティー番組はもともと見なかったので今更見たいと思わないのでパス。

 

そんな中で比較的見ることが多くなってきたのはドキュメンタリーもの。

偶然チャンネルをまわして、面白いのでそのまま最後まで見てしまったという感じの見方ですが。

 

駅ピアノ、というのもありますね。駅を行き交う人がふと足を止めて聞き入るのと同じ角度で見入り、聞き入ってしまいます。

でも弾き手がうま過ぎてもちょっとシラケる。

ちょっとつっかえたりするとほっとする。

な〜んて、そんな聴きかたって素直じゃないですね。反省。 

 

ニュース番組はとりあえず見ますが、さらに深堀した番組はよほどのことがないかぎり見ない。なんとなく覚悟がいるので。

 

これらはすべてはPD(パーキンソン病)の為せるわざーとしてすべての意欲の低下を病気になすりつけてすませるのは何かしら卑怯な気もしないではない。ヤヤコシイ私です。

 

それでも新聞は見出しだけでも目で追い、気になった記事をゆつくり読むように心がけてはいますが…。

 

なかなかこころがけばかりで、読まない日々が重なっていくばかり。

しかもあの何重にも畳まれた新聞を開くことすら億劫になり。

私にとって開くのも畳むのも結構難儀な仕事となってしまいました。 

 

昔混んだ朝の通勤ラッシュの電車の中で、畳まれた新聞を、読みたい面だけを器用に出して読んでいたサラリーマン(だけではありませんが)のみなさん、すごい! その技習得しておけばよかった。

 

その新聞もいまやネット情報の速さ、量、広がり方には敵わなくなりつつあります。

 

“真実”を報道し追求するはずのメディアとして最近新聞やテレビの情報は何か心許なく、若者のテレビ離れ新聞離れと相まって発行部数も減っているとのこと。

 

われわれ後期高齢者が生活情報源として頼る新聞はどうなっていくのかと。

購読者、テレビ視聴者の行く末が心配。将来どうなるのか? 

“われわれは見捨てられてしまう存在なのか?” みたいな。自分などが心配したってどうなるものでもないけれど。

 

新聞といえば、毎日日記をつけ(それがメモ程度の箇条書きであっても)、新聞もしっかり読む(ときどきは飛ばし読み、ざっとまとめ読みすることも)という友だち歴65年、要するに高校時代からの友人がいます。 

 

自身が必要と判断すれば今でもデモにも参加、小中高校のクラス会なども面倒がらず顔を出し、旧交を温め、友だち関係をとても大切にしてくれるーーそんな友人です。

しかも、温かみのあるふくよかなアルトのハスキーボイス。

シャンソンなどを歌うと、プロ歌手には出せない人間味あふれるその歌声に思わず聴き入ってしまいます。私は彼女の歌のファンでもあります。 

 

そしてなにより嬉しいことは年齢を重ねるごとに長電話になる私のおしゃべりにも嫌な顔ひとつせず(顔は見えないけれど)つきあってくれること。

 

“もつべきものは友”を実感し、やがて八十路坂を二年越えするわたしです。  

 

活動意欲が減退しボッと生きている自分の怠惰な生き方を反省する時、電話してみようかなと真っ先に思い浮かぶのは彼女。

 

せめて存続が危ぶまれている新聞がこの世から無くなる前に、彼女を見習おうと思いますが、なかなか。言うは“易し”の毎日です。

 

あの「寅ちゃん」をめぐる極めて私的な四つの偶然

 ついつい見てしまうNHK「朝ドラ」。

九月までは日本で初の裁判官になったという女性を主人公にしたドラマ「虎と翼」でしたね。

 

主人公寅ちゃんのモデル三淵嘉子さんは、1914年(大正三年)生まれで、寅年しかも36年ごとにやってくる「五黄の寅」とのこと。

 

このことで、思い出すのが偶然にも同じ年生まれで99歳で亡くなったのウチの寅ちゃんこと姑のハーさん(姑はそう呼ばれていましたので以下同)です。

 

 もし姑が存命であれば、この「寅ちゃん」のドラマには嵌まりにはまっていたにちがいありません。

 「五黄の寅」は、強運の持ち主が多いとか。

 

姑はそのころとしては珍しい「女学校」出で、しかも五人姉妹全員そろってだそうです。八十年以上も前に卒業した女学校の同窓会の案内状を嬉しそうによく見せてくれました。

 

そして“寅ちゃんの偶然”ですが、さらにあります。

 

ハーさんが嫁いだ先の舅は、なんと三淵嘉子さんが学んだといわれる明治大学の法学部出身だったのです。 

 

しかも、舅はすでに教師であり妻子持ちだったにもかかわらず、家族を故郷に残し上京、法学部(そのころは明治法律専門学校と言われていたらしい)に入学、卒業後検事さんになったのだそうです。

しかも舅が法律家を目指したその動機にはもっとびっくり!です。

 

「街で食べたすき焼きがあまりに美味しくてこんなものを毎日食べられたら」と思ったからなんだそうです。

そんな“言い伝え”が残ってはいるものの、当のご本人はこの世の人ではないので確かめる術はありません。

 

 その検事さんの息子と結婚することになるハーさんの話によると、その頃は婚約していても結婚式まで相手の顔を見ることが許されなかったのだそうです。

 

私もそうとう古い人間ですがさすがにそんな話は聞いたことがありません。

しかしどうしても顔を見たかった母は、実家の質屋でタバコも売っていたのでタバコを買いに来てもらうことでチラッと顔を拝むことを許されたのだそうです。

 

そして無事結婚。満洲に渡るのですが、その地で一人息子を出産、戦争がはじまる直前に日本に戻るという離れ業的幸運は五黄の寅の強運のおかげだったのでしょうか。

そして満洲生まれのその男の子は長じて私と結婚するわけです。

 

ところで私は寅年生まれではありませんが、なんと三淵嘉子先生とお誕生日の月日が同じでした。これが三つ目の「ちょっとびっくり」の偶然。 

 

九星占いによると五黄の寅年生まれの女性は強運の星のもと生まれてくるのでどの分野でも“存在感”のある女性として活躍された方が多いそうです。

 

以前このブログで紹介したこともありましたが、姑も思いおこせばそう感じることが多々あったような気も‥‥。

世に出て活躍したわけではありませんが。

 

ところで一番びっくりしたのは次の四つ目の偶然です。 

主人公寅子と同じ学校で法学を学び、寅ちゃんとの結婚も意識した花岡という判事が登場しますが、戦後判事という立場から闇米を食べることを拒絶して亡くなるという壮絶な生き方をしたエピソードがドラマでも描かれていました。

 

この花岡のモデルになった判事が、なんと高校時代の同級生の父上だったのです。ネットでそのことを知り、高校時代からの友人に電話で確認するとこともなげに「そうよ」と言われ、あらためてびっくりしました。

 

この闇米を拒否した判事さんの息子が彼だったということはクラスメートの間でも知る人ぞ知るという感じであったとしても、忘れられない話として語り継がれて来たのだと思います。

 

思いがけない偶然に驚きながら、法曹の世界を拓いてきた女性の生き様に

個人的には婚約者の顔すら見ることを許されなかったという姑の話を重ね合わせたりしながら、どんな時代をも自分を大切にしどんな境遇にあってもしっかり生き抜く女性たちについていろいろ考えさせられるドラマでした。

 

「原爆裁判」などもっとよくもっと深く知りたいと思ったりもしましたが、朝ドラでは重すぎるのかな。

 

ところで十月から朝ドラ史上最高傑作とも評される「カーネーション」の再・再放送が始まりました。毎朝とっても楽しみです!

何度見ても変わらず面白く、尾野真千子の千変万化する演技にワクワクし魅了されています。

それになんと言っても渡辺あやの脚本の素晴らしさ!

またこのブログに書かせて貰おうと思っています。