75歳 現役編集者の “徒然なる我儘に”

じゃこめてい出版の最年長編集者が手掛けた書籍の紹介と思い出の日々を綴る。人生の編集日記。

涙したのはどの「落葉」?

 

 もう何10年も前のことですが、絵を見ていて涙が溢れこまったことがありました。
 菱田春草の回顧展を見に行った時、展示されていたあの有名な「落葉」を眺めていたらふぁーっと涙が出てきたのです。


 静寂の中で音もなく佇む杉木立の絵を見ているうちに名状しがたい感情がわき起こってきて悲しいわけでももちろん口惜しいわけでもなく、涙がほほをつたわって、とまらなくなってしまった……。


 あの時の涙はなんだったのかー、今だに謎です。
 

 音楽をきいていて、テレビドラマや映画をみていて涙がでるということはこんな歳になっても(なったから?)ままあるのですが、絵を見て涙が出るという経験はあの時以来、残念ながら一度もありません。


 何か悲しいことを思い出したわけでもなく、思い出させる風景だったわけでもない。


 絶妙なバランスで静けさのなかで佇む杉木立、音もなく地に降りつもった落葉などが描かれている、それだけなのに、その空間表現に私の感情のどこかが揺さぶられ涙腺が反応したのでしょうか。
 
 この間書棚の整理をしていて別冊太陽の菱田春早を、「落葉」を見つけ、そのことをふと思い出しました。


 そしてじっと目を凝らして見たのですが、残念ながら涙腺はびくともしませんでした。

 

 ところで春早は36歳で夭逝しますが、「落葉」と言う画題の作品が五つもあるそうです。しかもいずれも1909年制作。別冊太陽にはその五つが見比べられるように紹介されていましたが、私の涙した絵はどれなのか。


 当然重要無形文化財に指定されている永青文庫所蔵の「落葉」だと思っていたら、私が観た昭和62年の春早展のカタログにその「落葉」の出品の記録はありません。流した涙の記憶だけは鮮烈に残っているのに、木立の中をさまよっているみたいにその記憶はおぼろで実にこころもとなくなるばかり…でした。。
 

うちのちりつもばあちゃん その3

 引越しでヒョッコリ出て来たハーさんの手作り健康サプリ「弾丸」レシピと手書きの生け花ノート

 
 引越でいろいろなものがひょっこりでてきましたが、うちのちりつもばあちゃんこと姑のハーさんがニンニクでつくった自家製ニンニク健康サプリ「弾丸」の巻紙状になったレシピもそうです。
 仏壇の脇の戸棚から出てきました。料理本から写し取ったのか人にきいたのか、テレビで作り方を聞きながらメモったのかは不明ですが、とても丁寧に手順をおったレシピでその気になればだれにでもすぐに出来そうにかかれていました。
「効能 血圧 心臓 便秘 肌の美化 胃腸 風邪ひかぬ 疲労しない」などとあって、思わず作ってみようかなと心が動いたのですが、ニンニクが粉末状になるまでは5時間から6時間かかるとあり、速攻あきらめました。
 
 ハーさんが子供達が風邪をひくとオブラートに包んだこの健康サプリ「弾丸」をもって「のむだわね」と追いかけまわしていたのを思い出します。
効き目があったかどうかは今以て不明ですが。
 無理矢理飲まされた孫たちは「おばあちゃんがつばをつけてオブラートにつつんでいたのが気になってしかたがなかった」といまだにうらみがましくいっています。
 
f:id:jakometei:20180903174912j:image
 写真は原稿用紙の裏にかかれたハーさんの手書きの「ニンニク卵黄」のレシピです。
 最後は「弱火でこがさぬように愛情を込めて気長につくってください」と結ばれています。
 ニンニクのにおいにみちたハーさんの「弾丸」作りの日を思い出しながら、心からお疲れさまというしかありません。
 このレシピですが、ネットでも「ニンニク卵黄の作り方」としてほぼ同じものが沢山紹介されていました。自家製サプリの定番なのでしょうか。ということで「ハーさんの弾丸レシピ」はここで紹介するまでもなさそうなので、手書きのレシピの写真だ
け、参考までということでここに載せました。  
 ハーさんのレシピによれば「にんにく卵黄」の材料は以下だけ。
 あとは作り手が「手間暇をかけるしかない」ということがわかりました。
??材料 にんにく ( 400 g)
 水 3合
 玉子の黄身 3ヶ
 鍋 ゆきひら又は土鍋
 これで約半年分の「弾丸」の出来あがり。実費はなんと400円位だそうです!

 

■手書きの生け花ノート


 引越でもうひとつ出てきたのは生け花のノート。習っていた生け花はすべて図解してあり、出来上がりの絵もきちんと画かれていてびっくり。姑がまだ60になるかどうかのころ毎週草月流の先生のところにでかけていき、帰りには大きな花木を抱えて戻り、どんなに遅くなろうともその日のうちに家の床の間に活けなおしていました。

f:id:jakometei:20180903175012j:image
f:id:jakometei:20180903175017j:image


f:id:jakometei:20180903175020j:image

 

 

 

 今だったらスマホで撮って保存もかんたんにでき、いつでも見られるでしょうがあのころは手描で記録していたのですね。そして絵を習ったわけでもないのに花の形がしっかり描かれていて、それがびっくりでした。
 このノートをテキストとして生け花に挑戦する日がくることを願いつつ、眺めるばかりで花一輪飾るのも億劫な毎日です。
 来客のあるとき、家に花が飾られていないのはお化粧しないまま自分を人目にさらすことと同じくらい恥ずかしいことだといって、花屋さんに走っていったハーさんを思い出すたび、恥じ入るほかありません。

 

引越疲れを癒してくれたゴールドベルク

 猛暑の夏、やむない引っ越しさわぎで、後期高齢者としては寄る年波をいたいほど実感する毎日です。足が重い、腰が痛む、背が曲がる、すべての物が1割増ぐらい重く感じる……暑い、だるい、つらい、眠い、からだ全身がこどものようにダダをこねる……   

 そんな日が続くある夜、まだあけていない段ボールに囲まれたリビングでたまたま手許にあったグレン・グールドのゴールドベルクのCDをかけみると…。

 まるで金のしずくが落ちてくるようなあの冒頭のピアノ、その音のしづくの一つ一つが胸にすーっと落ちてきました。

 忘れてかけていたこの音! 音の連なり、つづれ織りのような美しい音の流れ。疲れきった体が、音の流れのままのまま誘われ、至福の時をたゆたっている。

心身とも潤い充たされ蘇生するような感じ。こんなに快い音空間があったことを忘れていた。音楽に癒されるということがこんなにもリアルに感じられるとは…。 

 疲れがほぐれていく感じ、あ、いいなこんな音空間。時間さえあればずっと浸っていたい。そんなひとときでした。

 疲れをほぐすには、好きな音楽を聴くのが一番効果的だと云うが解ったので、次はシューベルト? それとも森進一!? とうれしく迷うわたしです。

 

「シモキタ」と「下北沢」とシューベルト

  今は、本多劇場など演劇の街として、ライブハウス、古着屋さんなど、昭和の香りが残る独特な若者文化発祥の地としても有る名なシモキタこと下北沢。

  今は全国区の街ですが昭和二十年代、自宅から歩いて15 分ぐらいの街だったということもあり、小学生から中学時代よく遊びにでかけました。そのころも映画館が三館もあって、洋画専門のオデオン座(ネットで検索したらオデヲン座となっていました)日本映画はグリーン座(ここで高峯秀子の『二十四の瞳』などを観ました)。

  そして名前が思い出せないのですが、南口から八幡様へ向かう道から少し入ったところにも一軒あり、そこで『バクダットの盗賊』という映画を見た記憶があります。今はもうそれらの映画館は一軒もないようです。

 お風呂屋が一軒、あとはこまごまとしたお店が迷路のような小路にたちならびアットランダムな形で発展していった街で繁華街は、20分ぐらいで全部回ることができたような気がします。

 古レコード屋さんがあり当時はSP盤の時代、伝説のテノール歌手カルーソの「女心の歌」がはいっている片面だけのレコードを父が買ってとても大切にしてたのを思い出します。

そして相撲好きの父が場所が始まるとテレビをみるために足げく通ったお寿司屋さんがあり、作家の森茉莉さんいきつけの風月堂と言う名の珈琲屋さんもあり、そのアンティークなたたずまいが子供心にもとてもおしゃれな感じがしました。

 確か先祖が荻生徂徠というその名も「荻生書店」という古本屋さんもあったような。

子どもはお呼びでなかったので、記憶もおぼろですが。 

 「どんりゅうさん」とよばれていたお寺もありました。でも最近、そばにすんでいた人からそれはドンリユウさんではなく、道了尊(ドウリョウソン)のことで、自分たちは「ドウリョウさん」とよんでいたと教えてもらいました。箱根足柄山にある烏天狗を祀る大雄山最乗寺の末寺だそうです。

 教えてくれた方は認知症の権威者で脳神経外科の先生です。私の記憶違いであることは間違いないのですが、記憶の中に「呑竜」(どんりゅう)と漢字まではっきり銘記されていて、拭いさることができません。困ったものです。

 

 ♪日本語だから心に届くシューベルト 

  昨年9月27日、その下北沢の一角にあるライブハウス「音倉」で〈じゃこめてい出版presents「日本の秋の歌とシューベルトを歌う」〉という コンサートを開きました。

 テノール歌手の畑儀文さんとビアノ田中悠一郎さんを迎え、「里の秋」や「紅葉」「庭の千草」など秋を歌った名曲の数々と実吉晴夫現代語訳の日本語で歌うシューベルト、「のばら」「子守歌」「菩提樹」などを歌っていただきました。

 

 シューベルトの歌は畑さんが歌う実吉邦詩による「冬の旅」全曲と有名名曲を集めた「ミューズの子」の2枚がCDになって、じゃこめてい出版より発売されています。

ネットでも数曲試聴できます。

 

www.youtube.com


 

  「冬の旅」を日本語で聴くと、歌詞の意味がそのままメロディとともに「失恋の痛みを抱え冬の旅をつづける若者の歌」とわかり、ひとつひとつの歌にこめられた思いが直に心に届き、感動が倍加します。

 「冬の旅」の15曲目「からす」を實吉晴夫邦詩で聴いてみてください。冒頭のピアノによるいかにもシューベルトらしいシンプルで美しく哀切なメロディー。そのピアノ導かれるように日本語の歌がはじまると、その一語一語がぐっと胸に迫るのを感じます。まるで日本の歌曲のように。

 

youtu.be

 

「からす」  

 原詩 ウィルヘルム・ミュラー 曲フランツ・シューベルト

邦詩 實吉晴夫

 

カラスが一羽ついて離れない

今日も一日 頭の上

おい 何してる 離れないの

そうか 死んだなら 俺を食うか

 

長くはないさ すぐに餌食だ

カラスよ見せろ まことの愛を

最後に見せろ 変わらぬ愛を

 

 

「冬の旅」からもう一曲。有名な「菩提樹」も聴いてみてください。

 

www.youtube.com

 

 シューベルトの歌を全曲原語で挑戦し何年もかけて歌ったという程シューベルトをこよなく愛する畑さんですが、「原語の壁は厚く、実吉さんの邦詩で歌った時はじめて聴く人の心にじかに届いたという手応えを感じた」そうです。

 その畑さんが歌う実吉邦詩の「冬の旅」をラジオで聴いたと言う方からこんなに素晴らしい日本語のシューベルトの歌を初めて聴いた、是非日本語の楽譜が欲しいとお電話をいだいたのは去年のことです。

 お知り合いの大津康平さんというバリトン歌手の方が實吉邦詩の「冬の旅」に大変興味を示され、いつかリサイタルで歌ってみたいとおっしゃっているとのこと。

 下北沢のライブハウスの畑さんのコンサートにも来てくださり、實吉邦詩で歌うシューベルトも聴いていただきました。

 きっと畑さんとは又違った「冬の旅」を聴かせていただけるのではと、期待を膨らませています。

 

★そしてまた下北沢

 このコンサートの前、ライブハウスの下見を兼ねて久しぶりに下北沢で降りたら駅は改装工事中で、迷路がさらに迷路になって、小田急線は地下にあり、何処をどう出れば何処に出るのかさっぱりかわからなくなっていました。駅には昔の面影はほぼなし。小田急線と井の頭線がクロスするガードがあったので、昔をしのぶ縁(よすが)が少しでも残っていてほっとしましたが。駅にくっつくようにあった戦前からあった何でもあってなんでも安い「駅前食品市場」(と呼ぶということはネットで調べて初めて知ったのですが)はなくなっていました。

ここに中学の同級生がいて、彼女が時々店番をしているのを見かけました。

中学の同級生の何人かは下北沢商店街のお店の子ども達で、靴屋さん、床屋さん、肉屋さんお菓子屋さん……いまでもまざまざと顔が浮かんできます。あの顔、この顔、今もお店は残っているのかな。みんなもう後期高齢者なのだなあ、としばし感慨にふけったのでした。

 駅前の掲示板に、工事中のため期間限定で災害時の避難場所のお知らせの紙が張ってあり、読んでみると私の通っていた中学校が避難所に指定されていました。学区が同じだったということなので当然といえば当然ですが。

 時代は変わっても学校は変わらず、というわけにはいかないでしょうが、懐かしい中学時代にしばし思いを馳せました。 

 

 

 

見上げてごらん夜の星を その2

見上げてごらん夜の星を 其の2

 

 

f:id:jakometei:20180130190627j:plain

 

 

 

 この本は美容院から生まれました。

 というのは、いきつけの美容院に置いてあった分厚い婦人雑誌をみるともなくめくっ

ていたときのこと。思わず「これはいったい何?」と、ページをめくる手がとまりました。「星とことば」というようなタイトルの口絵の写真が「クリスマスのオーナメントも顔負け」と本書でも紹介されている、息をのむように美しい天体の画像。

 これが「星?」その時はじめて観たこの一角獣座で光る星の天体画像と紹介されているその写真にすっかり魅せられてしまったのです。

 その写真にそえられた天文詩歌にまつわるエッセイもとてもよくて、美容院の人にバックナンバーはありますか? と聞いてしまった程です。その執筆者が、著名な天文学者として知られる海部宣男氏でした。元国立天文台長であり、ハワイのすばる望遠鏡

創設者で初代代表であり、また国際天文連合学会会長として世界の天文学会を牽引されてきた天文学者です。素人にもわかる興味深い星の本をたくさん出されていて、私も何冊か読ませてもらっていました。

「こんなに美しい写真がいっぱい載った星の本をつくりたい」

そんな思いに突き動かされ、早速コンタクトをとり、本にすることを快諾してもらえたのです。

 そして、一年あまり後の七夕の日にめでたく「星めぐり歳時記」というタイトルで書店に並べることが出来ました。しかもその発売を記念して歌とピアノと海部先生のトークを交えた「星のコンサート」も開催という贅沢なおまけつきで。

 ところで美しい星の画像ですが、残念ながら夜空を見上げても肉眼でカラフルな画像が観ることができるわけではありません。人間の眼よりはるかに感度のよい「電子の目」で観て、コンピューターで「色づけ」するのだそうです。

興味を持たれた方は、詳細は本書P90を御覧ください。

 

★夜の地球

f:id:jakometei:20180130184359j:plain

 

 この画像は、人工衛星から見た夜の地球(合成)。同書のP4~P5に紹介されています。

 小さな日本列島が人工の光によって一際輝いてみえます。画像でみるかぎり夜の地球は金色の糸で刺繍したような世界地図を浮かび上がらせ、とても美しいのですが、この光は「地上から見上げると夜空を明るく染め上げる光でもある」と著者海部宣男

氏はのべています。

 つまり人間の生活が人工の光によって明るくなると、星空はその光によって見えにくくなってしまうというわけです。

 ということで、もっとよく星空を観たいという人々の願いに応えいろいろな試みが日本各地で始まっています。

 石垣島では2002年から毎年旧暦七夕の夜は全島灯りを消して、星空を満喫するという試みを恒例化、夏の風物詩として全国から観光客が訪れているとのことです。この試みに対しても海部氏は積極的に参加され、応援されているとうかがっています。

 

★美しい星空をまもるために、全国初鳥取で「星空保全条例」を可決したそうです。

 星の見えやすい県として環境省が行う星の見えやすさの調査で何度も全国1位になっている鳥取県は、知るぞ知る日本の美しい星が見られる自称「星取県」。 たしかに鳥取砂丘で見上げる星空は想像するだけでメルヘン! 素敵そう。

 その美しい星空をまもるために、照明の使い方などを規制する「星空保全条例」

が12月21日の鳥取県議会で可決。星空を守る目的に特化して条例は、全国でも初めてだそうです。

 サーチライトなど照明の使い方などを規制し、違反した場合罰金もあり、とくに美しい星空が見える地域では街灯の灯りが外にもれないような規制もあるとか。

 星空を守る目的に特化して都道府県レベルで規制を行う条例は全国でも初めてとのこと。条例は今年の4月1日に施行されるとのこと。

 鳥取県の平井知事は「全国初の条例になるが、来年すぐに特命チームをつくるなどして、しっかり県民に周知して運用していきたい」と話しているそうですが、どんな美しい星空が見られるのか楽しみです。

 

 

f:id:jakometei:20171222120750j:plain

 

宇宙吟遊 光とことば

「星めぐり歳時記」

海部宣男 著(本体1,500円)

 

 

#星めぐり歳時記

 

 

 

 

「見上げてごらん夜の星を」その1

f:id:jakometei:20171222120750j:plain

 誰でも知っている坂本九のこの歌は星空を見上げる歌としては 鉄板の存在ですが、

この季節、夜空を見上げると、後期高齢者として思わず口ずさんでしまうのはこの歌

ではなく「冬の星座」です。「?」という方に歌詞をご紹介します。こんな歌です。そ

らんじていて口ずさめる方はほぼ私と同世代の方かも。

 

 「冬の星座」

         堀内敬三作詞 ヘイス作曲

 木枯らし途絶えて さゆる空より

 地上にふりしく 奇すしき光よ

 ものみないこえる しじまより

 きらめき揺れつつ星座はめぐる

 

 ほのぼの明かりて 流るる銀河

 オリオン舞い立ち すばるはさざめく

 無窮を指さす北斗のもとに

 きらめき揺れつつ星座はめぐる

 

 この歌の通り、子どものころ凍えるような冬の夜空を見上げオリオン座の三つ星を

探したり、北斗七星をたどって北極星を探したことを思い出します。

 「さゆる空」「くすしき光」「しじま」「すばるはさざめく」「無窮を指さす」

等など文語調の歌詞は意味がわからなくても、子ども心に広大な宇宙の神秘に触れる

感じがしてワクワクしました。ネットでこの歌詞の一字一句を懇切丁寧に現代語に訳

しているサイトがありました。辞書を引かなくても、人にきかなくてもネット検索で

瞬時にして解ってしまう時代なのを喜ぶべきか、憂うべきか。個人的にはおおいに利

用していますが。

 

 クリスマスの街のイルミネーションも素敵ですが、ちょっと立ち止まって夜空を見

上げてみると、「冬の星座」そのまま、なんと豪華な冬の夜空(のハズですが都会では

見られないかも)!

 冬の大三角と称されるオリオン座の一等星ベデルギウス、おおいぬ座シリウス

こいぬ座プロキオン、などなど有名星がずらり勢揃い(のハズ)。

 どの星がなんという名前かわからなくても、もしかしたら街の灯りが明るすぎて、

しかもビルの陰に隠れてしまってあまりみえなくても、見上げてみませんか。想像力

をめぐらして夜空を眺めているだけで、ワクワクしてきます。

 

 「星めぐり歳時記」(海部宣男著)をひらいてみると冬の大三角、載っていました。

 

 

f:id:jakometei:20171222120910j:plain

 

 

 冬の星空散歩で見つけられるたくさんの耀く星。

 星のことを知れば知るほどもっとワクワクします。

 誕生星座をみつけることもできます。

 

 小学校のころの一番の思い出の星は、オリオンの三つ星。冬の寒い夕方、兄と二人

で帰りの遅い父を、最寄り駅下北沢まで迎えに行くことがよくありました。途中、空

を見上げると三つの星が木立の上にかかっていました。母を早く亡くし父子家庭だっ

たため、その三つの星が父と兄と私のようにも思え、見つけるとなんだかホッとし凍

えていた身体があたたかくなるような気がしました。

 この三つ星が巨人オリオンのベルトに列んだ星ということを知ったのは大きくなっ

てからです。

 

f:id:jakometei:20171222121018j:plain

 

 昭和20年代は戦後10年経つか経たないその頃は東京でも天の川を見ることができま

した。星の名前を知らなくても夕暮れになると「一番星見つけた」と歌い、北斗七星

を柄杓の形に星をたどって北極星を探したり……高層ビルで空がおおわれることもなく、

夜空はほんとうに星々で耀いていて、しかもとても身近にあったような気がします。

 

 

「死」とポエム

★「必死」の花々―遺されたことぱ99  野沢一馬/編著

 

f:id:jakometei:20171210162746j:plain

 

 「2045年には、平均 寿命が100歳に到達すると予測されている」そうです。寿命が

延びれは延びるほど死とどうむきあうべきか、考える時間もたっぷりある分なかなか

難しい。

 105歳で亡くなられたあの日野原重明先生も死を前に「怖いね、聞くと嫌になるね。

はっきり言われると恐ろしい。」といわれたそうです。そしてそのことを、おろおろ

する自分との新しい出会いととらえられたとのこと。さすが、です。

 

 本書は死をどう考えるか、古今東西99人の著名人が死について遺した言葉を集めた

もので、タイトルの「必死」の花々について詩人の清水哲男氏は “まえがき” でこう述べ

られています。氏は詩の芥川賞ともいわれるH氏賞を受賞された知る人ぞ知る現代詩の

第一人者です。

 

「この本に収録されている言葉たちは、多くの開花の様相を帯びていると読む事がで

きると思う。読者の死生観と重なることこともあるだろうし、かけはなれている言葉

もあるだろう。あるいはまた、思いがけない死生観に蒙をひらかれる思いのする考え

も含まれているはずである。だが、いずれにしてもこれらの言葉たちは、それぞれに

発した人たちの花として耀いていることだけは間違いところだ。そして、これらの花々

は発した当人にとってよりも、他人である私たちに向かって、美しくそして切なく訴

えかけてくるのである。

 それも生きているからこそ、私たちはそのことが理解できるのだという平凡なこと

を、あらためて思い出していただきたい。その思いの上に立って、何度でも先に逝っ

た人たちのいわば「必死の花々」をみつめていただきたいと願っておく。」

 

 この “まえがき” をお願いした詩人清水哲男氏に初めてお会いしたのは、およそ40年前。

編集プロダクションの編集者として携わった小学館のミニレディー百科「あなたも詩

人」という詩の入門書を作るときです。

 このシリーズは全60巻におよぶ1970年代中盤から1990年代にかけて出ていた少女向

けの入門百科でトータル実売部数何百万部という人気シリーズでしたが、その12巻目

が「あなたも詩人」。子ども向けであってもレベルを落とさない本格的な詩の入門書

として刊行当時注目され、その年最も気になった本の一つとして朝日新聞の書評欄に

紹介されました。

 

 打ち合わせはいつもJR中野駅近くにあるその名も「ポエム」という喫茶店で、氏は

必ずビールを注文され、他の飲み物も食べ物も一切口にされず、延延とビールのみ飲

み続けられ、数時間。でも酔われることはまずありません。家がお近くだったのでホ

ロ酔い気分のまま歩いて帰られる痩身の姿がいかにも「詩人」という感じでした。

 このお店、私たち以外に客がいた記憶がないのであまりはやっているお店ではなかっ

たようですが、良き昭和の雰囲気がとても居心地がよかったことを懐かしく思い出し

ます。

 

 このまえがきをお願いしたときも相変わらずビールでした。場所は吉祥寺でしたが。

お父様が亡くなられていたので、一文にそのことが触れられていて、あれから長い時

間が流れたのだなあと、感慨深い思いをしました。

 清水氏は昔河出書房におられ、編集者としても大先輩で、「よい編集者の条件の一

つは陽気であること」といわれたことがあります。そのこと肝に銘じたつもりですが、

なかなか気質は変えられず、歳だけは熟したのですが、まだまだ編集者としては未熟

なママです。

 

 まえがきの最後にはこんな詩の一節が紹介されています。

   昭和10年12月10日に

   ぼくは不完全な死体として生まれ

   何十年かかって完全な死体となるのである。 

                   寺山修司 遺稿「懐かしのわが家」

そして、本書最後の99番目に遺された「必死の花」も47歳という若さで無くなった寺

山修司の言葉です。

 

「死がはじまるのではない。生が終われば死もまた終わってしまうのだ」

 

 99人の偉人が遺したことばのひとつひとつがかたり語りかけてくるもの

それは「今を生きる」ということへの深い問いかけ、意味です。

 

 

f:id:jakometei:20171210165727j:plain

 「必死」の花々―遺されたことぱ99  野沢一馬/編著

全国書店、ネットで発売中です。

アマゾンはこちら

http://amzn.to/2BrGQyj