80歳 現役編集者の “徒然なる我儘に”

じゃこめてい出版の最年長編集者が手掛けた書籍の紹介と思い出の日々を綴る。人生の編集日記。

リハビリは難行苦行?パートⅠ

 散歩中ころんで鼻血を大量に出したのは、3ヶ月前のことです。

 その後歩行がスムーズにいかないなど、体調が急激に悪くなり医者に行ったところ、MRI 検査を受けることとなり(この検査、真っ暗な洞窟に入られたようで怖くて15分間目を瞑ったままでした)その結果、なんとパーキンソン病症候群と判明、ショックでした。

 

 この病気は今、医薬品の開発が進んでいて(薬によっては劇的に症状が改善することもあるとのこと)難病ではなくなりつつあるそうですが、筋肉の急速な衰えとともに、対応を誤ると寝たきり状態となり、やがて食欲もなくなり餓死にいたることもある、と医者にいわれた時には、その「餓死」ということばのインパクトにたじろぎ、一瞬、血の気が失せました。

 

 そういえば歳の所為と思っていたのですが、このところ服の着脱、歩く、座る、靴を履く、トイレ、入浴、寝ることなど、普段の生活でなにげなくやってきたことが、すべてに時間がかかりだんだん難しくなっていました。もっと早く気がつけばよかった。甘かった! 遅かった。後悔先にたたず、でした。

  

 治療法として、医師からは投薬以外にとても重要なのは体をとにかく動かすこと、といわれ、その日から日常生活そのものが、リハビリの実践の場となりました。

 

 昼寝もご法度、水は1日1500ミリリットル飲むことを課せられたのです。(私にとってこれこそ今でも難行苦行です。怒られるのでここだけの話ですが。)

 

リハビリは難行苦行といふ吾に「頑張りましょう」と事もなげなる

 

 上記の歌は、治療を受けているクリニックに併設されている施設で、はじめてリハビリを受けたときのことを詠んだ歌です。

 その時の担当療法士から、「靴を脱いでベッドに上がってください」といわれ、「ひとりでは脱げません」と歩くのもやっとだった私がいうと、「だいじょうぶできますよ、がんばって」とこともなげに涼しい顔で療法士さんに言われ(といっても顔はマスクに覆われていてホントのところ表情はよくわからない)、しかも手を貸そうともしてくれません。

「えーっ、そんな冷たい!」と思いながら靴と悪戦苦闘するうちに、なんと! それまで、あんなに自力では脱げなかった靴が、すーっと脱げたのです!!

 子供みたいですが、このときの「 ヤッター感」は忘れられません。

 そして、とりあえずなんでもあきらめず、自分でやってみることが、一番の治療になるということを八十歳のこの歳になって肝に銘じさせられました。   

だあれもいない一本道

浮かび来るふるさとはいつも夕焼け だあれもいない一本道が続く

 

 戦争(とは第二次世界大戦のこと。歳がわかってしまいますね)中疎開していた母の実家の村から街へと続く其の一本道は、1日2回土ぼこりを立ててバスが通るだけ。

 母は終戦の次の年にその地で亡くなりました。

 その時私は3歳。二つ違いの兄と二人心臓の発作で倒れた母の急を知らせるため祖父母の家に続く夕暮れ時のその一本道を急ぎました。  

 其の時どんな気持ちだったのか思い出せないのですが、なぜか裁縫用の物差を片手に握りしめていたことだけが記憶にまざまざと残っています。

 

 葬式の日は初夏の日差しが眩しい日で、私は一人濡れ縁で足をぶらぶらさせながら、腹にまつわるように響く読経を聞き、庭をよぎるアリの行列を目で追っていました。 

 父は東京に戻ったその日に、「キトク」と打たれ電報を受け取り、そのまま母のもとにとんぼ返りしたそうです。その後日記に「万事休す」と記すことになるのですが、母が28歳の若さで逝ってしまうとは、父をはじめ誰もが思わなかったことでしょう。

 

 私が人生で初めて出会った死はこのような唐突であっけない母の死でした。

 そのことをどう受けとめればいいのかわからないまま、80年を生きて思うのは「どんな死でも唐突であっけない」ということです。

 

 姑は施設で介護を受けながら99歳で亡くなりましたがやはり、「唐突であっけない死」に思えました。 

 

 近親者の死は特にあっけない。さっきまで生活を供にし目の前にいたはずの人がいなくなるということはどうしても解せ無いことです。唐突に幕が降りてしまう、特にそう思うのかもしれません。

 父、二人の兄、夫の母を亡くし、そして去年の春は、思っても見なかった夫の突然の死。

 夫の死の少し前無二の親友の訃報に接し夫と共にびっくりしたばかりだったので、その唐突感は衝撃なものでした。

 この一年出会ったあまりに辛い死と真向かい、言葉を失っていました。そして言葉に変換する作業がかくもしんどいものか思い知らされ続けた一年でした。

 いまだに気分も体調も引きこもり状態ではありますが、この場を借りて少しずつ作ってきた歌と共に様々なおもいを綴ってみたくなりました。

 読まれる方には心苦しいお願いになるかもしれませんが、またお付き合いください。

 

 

 

ハイジのミルク



目覚めれば虹色の風になぶられて

今朝のハイジのミルクのにほひ

 

 ハイジといえば誰もが思い浮かべるのがテレビアニメの「アルプスの少女」。

あの冒頭のホルン(?)の後に続く陽気なヨーデルおなじみの軽快なメロディ乗せて歌われる歌と共に大空に向かってブランコを漕ぐハイジのすがたが浮かんできます。


 アニメの放映が始まり特に小さい子供のいる家では大人気でした。


我が家もご多分にもれず可愛いハイジのキャラクターに我が子を重ね合わせ密かに「ウチの子はハイジそっくりだね、いえそれ以上にカワイイ」と言い合ったものです。

 

ただ私とハイジの出会いはさらに遡り私の少女時代になるのでアニメの世界とはだいぶ違います静止画面に色もなく音もなし。


出会ったのは公子セドリックや公女セーラと双子のロッテと一緒で、岩波の子供少年少女世界名作文庫の中でです。  

 挿絵もあったはずですがよく思い出せない。

なの行ったことないアルプスの風景をから思いっきり膨らま、ハイジと一緒に本の中駆け巡って飽きませんでした。

 

冒頭の歌はそのころのハイジの世界を思い出しがら作った歌です。


そして絶対ハイジ以上に可愛いと思い込んでいた、もうとっくに少女とはいえない娘に歌に合わせイメージイラストを描いてもらいました。 

 

こんなゆるー感じでこのブログを再開させてもらいました

 

日々の暮らしの雑感を歌とイラストと共に綴っていきたいと思っています。 

お時間があればまたお立ち寄りください。

★ハーさんは負けず嫌い  ウチのちりつもばあちゃん その2

 

 夫が小学生だったころのこと。 母であるうちのちりつもばあちゃんことハーさんは、 一学期の級長になれないと「どげしたことかいねえ」 玄関先の土間に転がってくやしがったそうです。

 またたとえ病気であっても学校を休むことを許さず( ハーさんの姉妹はみんな皆勤賞をもらっていたとか)、 夫の話ではおたふく風邪になったときも「ふくらすずめ」( 寒さをしのぐため羽毛をふくらました雀のこと) のように何枚も服を着せられふくれあがった上に「 休み時間に食べえだわ」と水蜜桃までポケットにねじ込まれ、 近所の人に頼み込んでネコ車(猫が押すわけではありません! 野良作業用の一輪車の手押し車のことです)に夫を乗せ登校。

クラスメートにおたふくがうつらないか、 など人さまの迷惑はとりあえず考えない。

とにかく学校を休むとことに対して強烈な恐怖感、 罪悪感をもってしまう時代だったのか、 何が何でも登校させてしまう今は昔の親力にただただびっくりするばかりで、おそれいるしかないのですが。

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 学校といえば運動会の父兄参加競技のスプーンレースに母が出ることになって、さあ大変。

負けず嫌いのハーさんは家の庭でひそかに毎日ピンポン球をスプー ンに載せて猛練習を重ね、満を持して出場。

練習のおかげで初めはトップを切って走っていたのですが、 ゴール寸前にナント!一陣の風が吹いて、 ピンポンの球はスプーンからハラリと落ちてしまい、 猛特訓も水泡。

 

半世紀以上も前の話なのに、思い出すたび、

「 あーちゃいやだわ なんで風がふいたかね」と昨日ことのように地団駄踏んで悔しがるのでした。

 五人姉妹の間で培われた競争心、負けず嫌いで99歳の一生を生き抜いたウチの99歳ちりつもばあちゃんです。 

 

鬼も内、福も内

 「鬼は〜そと、福は〜うち、」

のかけ声とともに豆で追われる節分のオニたち。

今年の節分は2月3日ですね。 

ところで全国で豆に追われたたくさんの鬼たちはいったいどこへ行くのでしょう? 

鬼難民の受け入れ先ははたしてあるのか?

 

「地獄? おうち?

 いやいやもしかしたら

 群馬に向かっているかもしれないよ 

 だってここなら オニは内、福も内

 なんだから」

 

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 ええっ! なんで群馬なの?  

そうなんです。「都道府県別 にっぽんオニ図鑑」(山崎敬子/著)によれば群馬県藤岡市鬼石で2月に開催される「鬼恋節分祭」(おにこいせつぶんさい)では節分で追い出された全国の鬼たちを迎え入れようと「オニも内 福も内」といって豆をまくそうです。

おとなりの栃木県の「鬼怒川温泉鬼祭り」では、オニがお客さんを迎えてくれるとのこと。かけ声もやはり「福は内、オニも内」だそうです。

 

 だいたい日本人にとってオニとは、ただ恐ろしいというより、子どもの頃から鬼ごっこをしたり、鬼瓦だったり、鬼の面を被って豆まきをしたりもっと身近でホットな存在でした。

ホットといえば今まさに話題沸騰中!のオニがいっぱいでてくる漫画「鬼滅の刃」。

私は残念ながらまだ読んでいないのですが、登場する鬼たちにはそれぞれ鬼になった理由があってそれが物語となり、読者に深い感動を呼び、つぎからつぎへと読み進む原動力となっているとのこと。

 

 「日本には節分のオニも、春くるオニも、オニのような何かも、日本全国にはいろいろなオニがいます。」

 

 といわれる山崎敬子先生の、民俗学の世界にはいるきっかけとなったのは、愛知県に700年前から伝えられている春のお祭りで出会った「榊鬼」(さかきおに)という來訪神だそうです。

 「日本の春に訪れる神さまはオニの姿をしているのだ」

とおどろき、その後春くるオニを探して日本全国旅をされたとのこと。

 

 そんな鬼たちを都道府県別に紹介したのが本書「にっぽんオニ図鑑」です。

あなたのお住まいの県のオニはどんなオニでしょう。

 

知りたい方は是非本書を開いてみて下さい。きっと思いがけないオニたちと出会えるにちがいありません。 

 

 

 

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都道府県別 にっぽんオニ図鑑」

 

都道府県別 にっぽんオニ図鑑

都道府県別 にっぽんオニ図鑑

  • 作者:山崎敬子
  • 出版社/メーカー: じゃこめてい出版
  • 発売日: 2019/04/10
  • メディア: 単行本
 

 

   文 山崎敬子    絵 スズキテツコ

本体価格 1300円 

 

全国書店、ネット書店でお求めいただけます。

 

 

 

新年星空散歩

 

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 新しい年を迎えたと思う間もなく、大寒もすぎ、やがて立春と暦は容赦なくめくられていきます。一年で最も美しく見えるといわれる星空を仰ぎ見ることもないまま。そんなとき、弊社刊「星めぐり歳時記」がお役立ちです。

 ページを繰るごとに息を呑む星のカラー映像と古今の天文詩歌を通し冬空に時空を超えて輝く星達と出会えます。 

 本書の著者であり天文学者の海部宣男氏は残念ながら去年4月急逝されましたが、本の中でこう述べられています。

 

 「宇宙から、はるかな光が届く。静かに澄んだ新年の夜空では、星の光もいつもと違う、おごそかな輝きに感じられる。万物を育む太陽の圧倒的な光はもちろんのこと、夜空をそれぞれにめぐる月や惑星、星々の不思議な輝きから、人は祈りと、数え切れない物語とを紡いできた。そして現代の大望遠鏡がとらえる美しい星雲の姿や、何億光年もの彼方からやってくる銀河の光は、宇宙と人類の根源を私たちに物語ってくれる。」

               

 

  オリオンの盾新しき年に入る    

橋本多佳子

 

 「星めぐり歳時記」の1月の「光のことば」の冒頭を飾る俳句です。

 

 「新年の夜空を飾るそんな光の主役は、なんといっても雄大なオリオン座だ。星座の真ん中にきれいに並んだ三つ星が何よりの目印で、誰でも見上げれば直ぐそれとわかる」

 

 と紹介されています。

 オリオンは、ギリシャローマ神話に出てくる半神の巨人。

 その勇姿を星でつなぎ描き出したのが、世界共通星座の一つとしても有名なオリオン座です。ベテルギウスとリゲル、二つの一等星が輝くその星座でオリオンは牡牛座に向かって「盾」を翳しています。

 

 「突きかかるおうし座に神話の巨人が向けた盾は、新年の心をきりりと引き締めてくれる」

 

 星と宇宙と詩歌をこよなく愛する著者ならではの思いのこめられた一言一句。ゆっくりかみしめながら冬の星空を心ゆくまで散策してください。

 

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「宇宙吟遊 光とことば 星めぐり歳時記」 

海部宣男

 

 全国書店またはネット書店にて、お求めいただけます。

 

 

宇宙吟遊 光とことば  星めぐり歳時記  

宇宙吟遊 光とことば  星めぐり歳時記  

  • 作者:海部 宣男
  • 出版社/メーカー: じゃこめてい出版
  • 発売日: 2009/07
  • メディア: 単行本
 

 

海部宣男氏を悼む


 
  冬木立科学者として生きにけり   

海部宣男


と、詠まれたのは、すい臓癌でこの4月13日に亡くなられた国際的天文学者海部宣男氏享年75歳です。
 冒頭の俳句は2019年の作なので今年の1、2月ごろ作られた句だと思います。
「科学者として生きにけり」といいきられた、畳みかけるような口吻に胸をうたれました。


 冬木立もやがて芽をふき新緑となる。自分の死を見据えつつ冬木立を見つめ続ける科学者のやさしくも厳しいまなざし。

 こういう言葉をもたれ旅立たれたのだなと思うとこみ上げるものがあります。
 
 じゃこめてい出版では「星めぐり歳時記」の著者として大変御世話になり、これからも引き続きお世話になりたいと、「星」と同様なスタンスで「月の歳時記」もお願いしたいとずーっと企画をあたためていたところだったのでとにかく残念でありショックでした。 
 たたき台のプロットも見ていだいていたのでもっとスムーズにこちらが動いていたら…、とそれができなかった諸事情と、自分の力不足が残念というより悔しくてなりません。 
 
 亡くなられる直前おくられてきた著者サイン本「77册から読む 科学と不確実な社会」(岩波書店)を、丁度読み始めたところでした。最近まで書評を担当されていた毎日新聞のご自身の書評欄をまとめた本の第2弾です。
 この本の編集者が「星めぐり歳時記」の本について「宝箱のような本」と褒めてくださった手紙を見せていただいたことがありました。
 
「星めぐり歳時記」については、面白い本を紹介する書評サイト「HONZ」の創設者である成毛眞氏がその面白さについて下記にように紹介しています。
 
 「それにしても不思議きわまりない本である。宇宙についても詩歌についても、個別にみるとページ数が少ないため、内容が薄い印象になる。しかし、1冊の本として見るとじつに魅力的なのだ。著者の2つの世界への思い入れがひしひしと伝わってくるからだ。」

 一般読者のかたからも病院のベッドで御主人がいつも手許におかれていたので、亡くなられたときにお柩に一緒におさめた、と聞いたこともあります。
 
 編集者である私自身にとってもとても思い入れ深い本で、手に取って見るたびに編集していたころのことをあれこれ思い出します。

 興味のある方は2018年1月30日のそのことにふれているブログを御覧ください。
 
 葬儀一切については家族のみで営んだとあったので、遠くからご冥福を祈るばかりでしたが、海部夫人が私の高校時代からの友人だったこともあり、他の友だちも誘って先週ご自宅に伺い手を合わせてきました。
 
 窓を通して新緑の木々の間できらめく5月の光が降り注ぎ、たくさんの家族写真がしずかなときのながれの中でほほえみかわし、お互いにほっと身をゆだねあっている、そんな感じがするお家でした。
 
 三年前初めてすい臓に癌がみつかり療養生活がスタートしたことを私が知ったのは、やはり目にまぶしい新緑の頃でした。その後難しい手術も成功、講演や執筆活動も再開され、日本だけでなく世界中を回られていることをきき及び、そのタフさには驚嘆するばかりで、完全復帰も夢ではないと思っていましたが…。
 毎年恒例となっていた海部家の花見は、今年もでかけられ楽しまれたそうです。

 一昨年の夏弊社でお願いした講演会では七夕まつりをテーマにした楽しいお話しをしていただきました。まだまだお元気で講演後の飲み会にも嫌な顔ひとつせずつきあっていただきました。
 いつもと変わらぬ様子にホッとし、次回は何をテーマにお話しして貰おうかとたのしく思いをめぐらせたのですが…。
 
 万一のことについては御本人が納得されるまで語り合い、海に散骨することになっているとのこと。ただし散骨は「二人そろったとき」にするということなのでその時まではご自宅にたいせつに置かれているとのこと。
 こんな弔い方もあるということを知り、私も自分たちのこととして考えたいと思いました。
 
 自宅で行われた親族だけのお別れ会の写真では、普段着姿の海部一家がなごやかににぎやかに会食されている様子がとても楽しそうで、ここに一人欠けている「宣男さん」はきっとご自分がいないことを一番くやしがっておられるにちがいない、と思いました。
 
 ところで、今、心ゆくまで宇宙吟遊を楽しんでおられる海部さんから見た地球はどんな風にみえるのでしょうか。是非おききしたいものです。 

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。