80歳 現役編集者の “徒然なる我儘に”

じゃこめてい出版の最年長編集者が手掛けた書籍の紹介と思い出の日々を綴る。人生の編集日記。

リハビリは難行苦行? パート2 

リハビリは難行苦行といふ吾に「頑張りましょう」と事もなげなる

 

パーキンソンと病名が診断されて2ヶ月半。

 今は、なにもかもができなくなっていくような不安感も薄れ、薬と週二回のリハビリ、そして「大丈夫ですよ」「もう少しです」「がんばって」というような声かけを「杖」に、少しずつでも日常生活に戻ろうとしているところです。

 

 医師の判断では、入院も選択肢にあったとのことですが、近くに住んでいる娘と息子が、自分たちでなんとか24時間介護もやってみると申し出てくれ、自宅療養となりました。  

 地域医療の包括支援センターにも娘がいち早く連絡を取り、いろいろな支援が受けられる様手筈を整えてくれ、私は要介護1と認定されました。

 

 初めてクリニックを訪れた時には立っているのがやっとで、からだを傾けて、はいずるような歩き方をしていたそうです。

 医師から「その症状はいつから?」、「それいつのこと?」とたたみ込む様に からだの具合を問われ、すぐに答えられない自分がもどかしく、情けなかったことは覚えていますが、医師から受けたいろいろなアドバイスは、記憶の彼方。

 

 また真夜中、娘や息子を起こし「息苦しい、どうしよう もうだめ 救急車呼んで」と言ったり、ベッドから起きられないと助けを求めたり、と大変だったようですが、これもそんなこと言ったかも? ぐらいでよく思い出せない。

今は夜中に娘たちを起こすこともなく、トイレに行くのも一人で大丈夫ですが。 

 

 家族や医師をはじめ,、介護施設の人や療法士スタッフのみなさんから、その時の私の状態を聞くと、どうしても自分のことの様には思えない。 

 要するに、最もひどい時の状況はこんな感じで、私の中からすっぽり抜け落ちてしまったようなのです。

 「いいね忘れられて!」と驚きと共にあきれられていますが、医師によると、つらいことほど忘れてしまうことが、この病気は場合ままあるとのこと。いつか思いだすことがあるのかな。

 

 1ヶ月前には、どれにしようかと決めかねていたため、レンタル歩行器が家になんと、4台も待機。廊下には、伝い歩きのためのポールがとりつけられていました。

 でも今は、風呂場の一本のポールとベッドサイドの手摺りを除き、みな返却しました。

 

 そういえば、わずかな間ですが車椅子もあって、病院にいくときに使ったのですが、空を飛ぶみたいな軽快さで、なんと乗り心地の良かったことか!(もう一度乗ってみたいくらい)そんなことは、しっかり覚えていますが。 

 

 手助けがないと脱げなかった靴も、はじめてのリハビリで「できます、ひとりで」とはげまされ、なんとか人の手を借りずにがんばれたのは、療法士さんの「こともなげなる」その一言でした。 

 

 数多くの症例を目の当たりにしながら行う、さまざまな療法を試みた結果の、プロのならではの、「だいじょうぶ」「できますよ」だったのですね。

 皆さんにただ感謝です。

 そしてこれからも、リハビリどんなに難行苦行でも頑張ります。

 できることから、私なりに。

 

家族をはじめ、医師や療法士の声かけなどのはげましは、病んだ心身には、最高の治療薬。

よちよち歩きの幼児がみんなに見守られ、立って歩けるようになるのって、こんな感じなのかな。と思うこの頃です。