リハビリは難行苦行? パート2
リハビリは難行苦行といふ吾に「頑張りましょう」と事もなげなる
パーキンソンと病名が診断されて2ヶ月半。
今は、なにもかもができなくなっていくような不安感も薄れ、薬と週二回のリハビリ、そして「大丈夫ですよ」「もう少しです」「がんばって」というような声かけを「杖」に、少しずつでも日常生活に戻ろうとしているところです。
医師の判断では、入院も選択肢にあったとのことですが、近くに住んでいる娘と息子が、自分たちでなんとか24時間介護もやってみると申し出てくれ、自宅療養となりました。
地域医療の包括支援センターにも娘がいち早く連絡を取り、いろいろな支援が受けられる様手筈を整えてくれ、私は要介護1と認定されました。
初めてクリニックを訪れた時には立っているのがやっとで、からだを傾けて、はいずるような歩き方をしていたそうです。
医師から「その症状はいつから?」、「それいつのこと?」とたたみ込む様に からだの具合を問われ、すぐに答えられない自分がもどかしく、情けなかったことは覚えていますが、医師から受けたいろいろなアドバイスは、記憶の彼方。
また真夜中、娘や息子を起こし「息苦しい、どうしよう もうだめ 救急車呼んで」と言ったり、ベッドから起きられないと助けを求めたり、と大変だったようですが、これもそんなこと言ったかも? ぐらいでよく思い出せない。
今は夜中に娘たちを起こすこともなく、トイレに行くのも一人で大丈夫ですが。
家族や医師をはじめ,、介護施設の人や療法士スタッフのみなさんから、その時の私の状態を聞くと、どうしても自分のことの様には思えない。
要するに、最もひどい時の状況はこんな感じで、私の中からすっぽり抜け落ちてしまったようなのです。
「いいね忘れられて!」と驚きと共にあきれられていますが、医師によると、つらいことほど忘れてしまうことが、この病気は場合ままあるとのこと。いつか思いだすことがあるのかな。
1ヶ月前には、どれにしようかと決めかねていたため、レンタル歩行器が家になんと、4台も待機。廊下には、伝い歩きのためのポールがとりつけられていました。
でも今は、風呂場の一本のポールとベッドサイドの手摺りを除き、みな返却しました。
そういえば、わずかな間ですが車椅子もあって、病院にいくときに使ったのですが、空を飛ぶみたいな軽快さで、なんと乗り心地の良かったことか!(もう一度乗ってみたいくらい)そんなことは、しっかり覚えていますが。
手助けがないと脱げなかった靴も、はじめてのリハビリで「できます、ひとりで」とはげまされ、なんとか人の手を借りずにがんばれたのは、療法士さんの「こともなげなる」その一言でした。
数多くの症例を目の当たりにしながら行う、さまざまな療法を試みた結果の、プロのならではの、「だいじょうぶ」「できますよ」だったのですね。
皆さんにただ感謝です。
そしてこれからも、リハビリどんなに難行苦行でも頑張ります。
できることから、私なりに。
家族をはじめ、医師や療法士の声かけなどのはげましは、病んだ心身には、最高の治療薬。
よちよち歩きの幼児がみんなに見守られ、立って歩けるようになるのって、こんな感じなのかな。と思うこの頃です。